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モノクロ、彩度マックスと山崎まさよし

秋の夕方、音楽でも聴きながらのんびり過ごすなんて至高、なんて思いつつ子供の宿題を手伝っているnumacciです。


山崎まさよしさんのOne more time, One more chance という歌をご存知でしょうか。

切ない片想いをアコースティックギターと歌い上げる素敵なナンバーです。




ただ、一点、どうしても引っ掛かってしまうところがあるのです。


♫いつでも探しているよ どっかに君の姿を

明け方の街 桜木町で


そう。僕は桜木町には殆ど行った事が無いのです。なので、このフレーズに来ると急に共感できなくなるのです。せめて「人混みの中」くらい抽象的にしておいてくれればよかったのにと。

写真も同じだと思います。

高解像度になればなるほど、その被写体そのものに興味のある人にしか刺さらなくなる。多くの人の共感を生むには、抽象化のプロセスが大事だと思うのです。抽象化によってリアルから表現に変わっていく。写真にとって、その最たるものはモノクロでしょう。


モノクロにする事で形や事象によりフォーカスできる。モノクロこそ本物で、カラーこそ邪道なんて言う人もいますよね。


でも、ちょっと待って。

抽象化するなら、彩度0のモノクロの逆方向、彩度最大、いわゆる彩度マックスだって立派な抽象化ですよね。彩度マックスなんて写真じゃないなんて言う人もいますが、デジタルに慣れた若い人は色の飽和攻撃によって共感を得られると言う事を発見したのだと私は思います。


私はヒロ・ヤマガタさんの絵が好きで画集を買ったりしてました。ハッピーな世界をカラフルにディフォルメして。彩度マックスの写真にはそれと同じモノを感じるのです。


彩度マックスなんて写真じゃないと言っている人の「写真」と、彩度マックスを発見した若者の「写真」は別のモノなのだと思います。


彩度マックスに対する私のスタンスは


「表現なのだから、自由に表現すれば良いじゃない」


です。ただし、それを本物や真実と言ってはなりませんよ。表現なのですから。


極端な話、盛るのがデフォルトの若い人にとっては写真が真実だなんて思ってはいないんじゃないかな。ただ、このあたりには世代間で感じ方の差はあると思うので、表現だと正しくステートメントする必要はあると思います。


ヤマガタさんの絵、一時期投機的に扱われたせいで最近は見ないですけど、僕は今でも好きです。あの値段では買えませんけど。

 
 
 

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